dokudokuchan’s blog

自分を認める第一歩

余裕の大切さに気付くお話

 

どうも、どくどくちゃんです。

 

今回はこちらのトピックスでお話します。

 

どうぞお付き合いください。

 

 

余裕の大切さに気付くお話

わたしは新卒で入社した会社に法人営業として2年半ほど勤め、半年間の休職期間を経て退職しました。

 

営業の仕事は大方こんな感じです。

電話番号を調べたり、展示会に出展したときにお話を聞いてくれた方の名刺から、電話やメールでアポイントを取る

 資料をもって取引先に伺い、課題点を解決できるように提案を行う

受注!

アポイントを取る

……

 

これにプラスして、受け持った顧客からの追加受注や解約、トラブル対応などもしていました。もちろん、提案を行う際の資料などを作ったり、アポイントを取るためのターゲットリストなんかも作ります。あとは上司の資料作成手伝いとかですね。

どの営業さんもそうだと思うのですが、複数の案件を同時進行していくので、慣れるまではタスク管理が結構大変でした…。

 

ここではその2年半にあった出来事と休職中の気づきについて少しお話します。

 

 

1年目の地獄

1年目の秋ごろだったと思います。

4月から1、2か月の研修、7月にはすでに1人で営業先に伺ったりしていました。

初めての受注も10月に経験して、ようやく営業先でも緊張せずにお話できるようになって仕事に慣れてきた頃、展示会があり、いくつかの企業と名刺交換をしていつもの通りテレアポを行ったところ、1社からこんな話を受けました。

 

「どくどくちゃん、うちの会社と一緒に新サービス作らない?」

 

上司に報告し、新サービスを作ってみることになりました。

ここまではよかったんです、ここまでは。

 

わたしが名刺を交換していたので、先方企業との連絡はわたしが担当することになり、NDA(企業の秘密守りあおう、っていう約束。詳しくはググってね)の内容精査・締結も担当、新サービスの提供価格や試算もほとんど担当。

「1年目でNDAなんて普通やらないし、そもそも新サービス設立の担当者なんてやらせてもらえないからね!いい経験だよ!」なんて先輩に言われながら、普通の営業活動と新サービスの設立企画をしていました。

 

 

正直本当にキツかった…。

 

何がキツいって、営業だからもちろん月ごとの目標数字があって、1年目でよくわからないながらもウンウンうなりながらなんとか目標に近づけるようにって活動していたのに、それにプラスする形で完全に未知の業務が降りかかってきて、わたしのキャパシティーは常にパンパンでした。

社内にはもう誰もいない中、20時過ぎくらいまで毎日残業して、次の日に上司に新サービスの企画資料を見てもらってダメ出しされて…。

直属の上司に「もう無理です…」って伝えたこともありましたが、「泣きついてきたら助けてやる」って言われて、今の”無理”がわたしにとっての泣きつきなんですが…とさらに自分が追い詰まっちゃいました。

 

「忙しくて全然数字も追えないし、新サービスの企画もやらなくちゃいけない。どうしたらいいのかわかんないし、何よりダメ出しばかりされて終わりが見えない…。」

 

会社の中の女子トイレで泣いて、家に帰って泣いて、本当に毎日泣いていました。

 

社長へ企画プレゼンをする日の前日、ようやく残ったタスクが提供価格の設定だけになり、上司たちにお願いして3人で夜遅くまでうなりながら価格を決めて、社長に決裁をもらって新サービスをリリースすることができました。

 

もっと助けてって言えばよかったのかな、と思うけれど、でも”無理です”以上の”助けて”は今でも思いつきません。でも、もし助けてもらえていたら、つらい思い出じゃなくて、頑張った思い出になっていたのかなとも思います。

 

と書いたものの、やっぱり1年目にこの業務内容は重たいなあと思うし、退職間際の同期を思い出してもここまでやってる子はいなかったと思います。

新サービスリリース後は、泣くこともなく営業することができました。笑

 

 

嫌な先輩になる

2年目は営業方針の転換で全顧客の約半分を請け負うことになったことくらいしか思い当たることがないので割愛。

 

3月の終わりに「どくどくちゃんの好きそうな感じの新卒が入るよ」と上司から話がありました。

写真を見せてもらったところ、なるほどわたしの好きそうなお顔をしていらっしゃる。カワイ~~~!!!

2年目には新卒が入らなかったからとても楽しみにしていました。でも、それと同じくらい、とても不安でもありました。

 

なぜなら後輩との距離感を生まれてこのかたうまく測ることができていないから。

”自分は慕われるような人間じゃない”と思うことから、高校生くらいの時からずっと”敬語使わないでいいよ!楽しい友達になろう!”の精神で最初接することにしています。ただ、”ちょっと…それは友達であっても礼儀がなってなさすぎじゃない…?”とわたしが思ってしまうような出来事があると、途端に距離をぐーーーーんとおいてしまうのです。

後輩との関係性は人によって違うので、その”出来事”についての線引きはもちろん相手によって変わります。しかし、どんな関係性であろうと”わたしにとって地雷になる出来事”があると、距離を置いてしまいます。何も言わずに距離を置いてしまうのです。

されたほうはたまったもんじゃないと思います。それをわかっていながら、距離を置き、フェードアウトしてしまいます。本当にごめんね。

先輩やタメの友達に対しては、”それは違うでしょ”と思ってもわりかし飲み込んでいるので、つかず離れずの関係を保っていられるのですが、後輩だけは飲み込めず、注意や助言もできずに自分から離れていっていたので、”会社で仕事の一環として後輩を持つ”ことはわたしにとってかなりハードルの高いイベントでした。

 

そんな心づもりで初対面を果たしたのですが、かなりいい子でした。多分自頭もよくてしっかり吸収しようとがんばってくれる子。直接指導することは多くはありませんでしたが、そう感じました。

 

しかし、やってきてしまいました、地雷。

 

後輩の議事録を添削してほしいと上司に言われ、後輩へ議事録を出してくれとメールしたところ、「確認お願いします」などの文章がなく、議事録のみをメールで送ってきました。

いやいやそれだけかよ、そう思われるかもしれませんが、すでにこの時、わたしが休職し始める1か月前でした。同期の産休、事業の拡張、コロナに影響した顧客からの相次ぐ解約とそれを先延ばしにしろという上司の板挟み。かなり参っている心理状態でした。

それでも、仕事だから、と後輩へ「お願いの文章とか入れたほうがいいよ、失礼にあたることもあるから」と注意しつつ添削を行いました。(仕事じゃなかったらフェードアウトしていたかもしれない)

その後、後輩が部署あてに「議事録です」とメールで議事録を流したのですが、

確認をお願いする一文がない。

急いで後輩へ「さっきのメール読んだ?」とチャットを送りました。すると後輩からは、「あ、すみません忘れてました笑」と返信。

わたしは「あなたの議事録見るためにわたしは残業までして注意もしているのに…”笑”ってなに?」と、自分の時間が無駄になった感覚がしました。

 

ここから先は後輩へのあたりが顕著にキツくなりました。

ただえさえ会社と顧客との板挟みで時間が足りず、取引先の担当者のことを考え心も浪費している中で、わたしの時間を無駄にしたくないと思い始め、後輩が声をかけづらい雰囲気を醸し出していました。後輩の席はわたしの正面だったのですが、こちらに話しかけたそうにちらちら見られていても無視しました。

文章にしていても、自分が”こんな先輩に当たったら嫌すぎる先輩”になっていて自己嫌悪しちゃいます。

自分の心の余裕のなさを後輩へぶつけるなんて、と今は思うことができますが、当時は本気で「わたしの時間を奪わないで」と思っていました。本当に。

 

 

余裕って大事

それから少ししてから休職し、休職前のことを振り返りながら”余裕”の大切さを学びました。

1年目の地獄みたいに泣いていた新サービスの設立にかかわっていた時期も、初めてできた後輩へのひどいあたりも、全部自分に余裕がなくて起きてしまったことだったんだなあと思います。

人って、心でもお金でも、自分に余裕があれば他人へ還元したくなるものですよね。

分かりやすいところでいうと、Twitterでお金配りをしていたZOZOの前澤社長とか。日常的なところでいうと、誕生日が近い友達にプレゼントを買ってあげたり、食事をするときにおごってあげたり。

 

それって全部、自分の余裕から生まれているものだと思います。

 

今、余裕を感じられない人がいるならば、”余裕を出せ!”なんて言いません。わたしがそんな状況にいるときにそんな言葉を投げられたら、自己嫌悪まみれになってしまうから。余裕と見栄を混同してしまって、もっとつらい状況になってしまうかもしれないから。

 

 

だから、この言葉を置いていきます。

 

 

無理をしなくて済む余裕を、そのうち取り戻せますように。